一つの世界

これもまた一つの世界

幼少期

 僕が幼少期(幼稚園以前)について主に覚えていることと言えば、ジャングルジムに登れなかったこと(今でも高所恐怖症なので登れる気がしない)、紙飛行機の先に木の実をつけて飛ばしていたこと、車が好きで本に載っている車をすべて覚えていたことなどがある。親から聞かされた印象的な話だと、よく泣く子だったけれど、トトロを見ればいつも泣き止んでいたこと、極度の人見知りだったこと、ハワイに行って「おうち帰りたい」を連呼していたことなどで、この辺りは少し普通ではない感じがする。僕自身、今となっては自分は脳に軽度の障害を持つ人間だと思っているんだけど、この頃にはそういった自覚はなかった。今考えれば、幼少期の僕は「外」が怖くてひたすらそれに恐怖していたんだと思う。ここで言う「外」は未知の存在を含めて自分の味方だとわからない存在すべてのことであり、そういった意味で、外に出るということは文字通り「外」との接触だらけであるわけだから、それだけで大変な恐怖だったに違いない。人見知りもまた知らない人という「外」が怖いということであり、「外」への恐怖の現れである。実際今も僕は人見知りが激しいし、「外」が感じられる状態で外に出るのは嫌いだ(仲間内で楽しくしていれば「外」は感じられず、それなら大丈夫なわけだけど、一方的に「外」だけがある状態は正直に言えば怖い。)。また、この頃から怒られるのが非常に怖く、ただ怒られないように怒られないようにと生きるようになった。そして、今でも怒られるのはとても怖い。ともすればその恐怖からの解放のために泣いてしまうかもしれない。

 僕は恐怖というものによって人はある程度制御されるのではないかと考えている。極端な例を挙げてしまうと、殺人鬼にナイフを突き立てられ、ある要求をされたとき、基本的には恐怖からその要求を飲むことになる。恐怖するときは、このときと同じ脳内物質が量こそ違えど分泌されている。したがって、この性質を使って人の行動を制限する機構が恐怖である。これは一つ生物が生きる上で重要な機構でもあり、恐怖の大小をコントロールすることは、人格をコントロールすることにつながる。要するに、この大小を人によって変えれば、それだけで人は多様性を持つことになる。すなわち、これは生物が多様性を獲得する中で得た、後世まで遺伝子を残していく手法なんだろう。よって、僕が多くのものに恐怖するのも、人間である限り逃れ得ぬさだめの一つだったのだと思う。

 繰り返し言うけど、僕自身僕は脳に軽度の障害があると思っている。調べてもらっていないから誰もそういった診断は下していないけど、明らかに普通に社会生活を営むのはつらい。ここでは僕がその後どのように生きてきたかということを、自分で振り返り、今はそれに対してどう考えているかを文章にして明確化し、また、それを残し、後でまたその考えについて自分で振り返っていきたいと考えている。

 …なんて適当に並べたてたけど、死ぬまでに何か書いておこうかな、という軽い気持ちから書いているだけなので、あんまり構えないで適当に読み流してくれると助かる。あと、ちょっとこの文章変かなって感じた人がいたとしたらそれは正解で、これは数か月前に書き始めた文章に加筆した形になっている。その辺は大目に見てやってください。これからどれだけちゃんと書いていくかも未定だけど、とりあえずよしなに。