読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

一つの世界

これもまた一つの世界

幼稚園~小学生時代①

過去の欠片

 ――あの頃は無敵だった。僕は幼稚園の年少(幼稚園2年のうちの1年目)で自転車の補助輪を外した。特に誰とも仲が悪いという感じはなく、当たり前に当たり前を過ごしていた。幼稚園の年長(2年目)になると、掛け算九九を覚えた。これは単に姉が小学2年生で覚えていたからで。それでこのときに覚えた(数年後には忘れていた)。僕のこの頃の苦手なものは高いところと図画工作系統全般、そして「外」であった。泣き虫だった。ただ、この頃には明確に「外」を意識していなかったから、今よりずっと本能の赴くままに生きていて、それは今の僕からすればまさに無敵という感じだった。

 小学生になっても、特に何も変わりはなく、僕は普通にやっていた。マラソン大会では1位だった。勉強は嫌いじゃなかった。夏休みの宿題は全部最後の辺りにやっていた。それでなんの問題もなかった。この頃は後にいじめっ子となるような子とも仲良くしていた。僕は本能を振り回していたけど、それでも問題なく生きていた。3年生になって1~2年でとても仲が良かった友達とクラス替えで別のクラスになった。僕はその友達とあんまり関わらなくなった。ただ、とにかくそれは普通だった。普通の関係性になっていった。そして依然として泣き虫だった。

 少しだけ泣かないことを覚えていった頃…それは3年生の後半ぐらいだったか。僕はサッカーを始めさせられた。休み時間にサッカーをやることは普通だったけど、小学校のサッカークラブに入ったのだ。これは親同士で仲の良いグループみたいなのがあって、そこで子供をみんなサッカークラブに入れようという感じだったと思う。これが一つ僕の小学校時代で一番大きな出来事だったと思う。とにかく僕はサッカークラブに入った。僕は長距離や球技は得意だった(逆に筋力を使う系統や身体の柔らかさが必要なものは苦手で、器械体操系は特にヤバい)から、特に問題なくレギュラーになり、また、後にトレセンにも選ばれた。とりあえず順序を度外視してこのサッカークラブのことについて話そうと思う。

 サッカークラブで僕は、最初は多分仲良くやっていた。いや、それすら今となってはよく覚えていない。ただ、僕はそのうちだんだんと孤立していくようになる。仲が良い人もいたんだけど、その人たちはより仲の良い人たちとグループを作り、僕はそこに入っていけなかった。そうして孤立を深めた。そしていじめっ子グループに軽く敵視されるようになった。これはおそらく僕が本能を振り回していた間に彼らに自我が芽生え、僕を疎ましく思ったのだと思う(実際、僕は高校まで勉強ではすべてオール5だったけど、小学校の通知表の生活面の方の評価はよくなかった)。よく集団から悪口を言われていた。僕は頭の回転が速くないからそれほどうまく言い返せないし、傷つきやすい質だから、ちょっぴりつらかった。それでも基本的にはその程度だった。おそらくそこまで大したことではなかった。一つ問題があったとすれば、フリーキックの壁になったときに、いじめっ子に腹にボールを入れられて吐いたことぐらいで。その後の悪口も相まって、それから僕はなぜか走ると吐くようになった。これは大きな問題だった。サッカーの練習のときに最初に校庭を2周走っていたんだけど、とにかくこれがまずつらい。どうにも途中で止まらないと吐いてしまう。サッカーの試合中でもそうだった。僕はサイドバックでそんなに走らなくて済んだ(というのはこのレベルのサッカーだとオーバーラップも何もなく、基本的には後ろにいるだけだったため)ので、攻めているときは歩いたり止まったりしていた。これは決して怠惰だったからではなく、吐きそうになっていたからだ。実際、僕は長距離が得意だったわけだけど、4年生ではマラソン大会をずる休みし、5年生では吐いて途中で棄権した(6年生ではうまく止まって吐くのをこらえ、なんとか10位ぐらいだった気がする)。

 そんなこんなで僕は人が怖いという感覚、人と関わりたくないという感覚を強めていった…というか、おそらくこの頃に交友範囲をものすごく狭めていった。それは自分が傷つくのが嫌だからだった。そして6年生になったとある練習試合で、僕は親が見に来たときに、試合が始まる前の何もない時間に、他の人たちがグループを作ってボールをけっている中で、独りで孤立しているのを見られた。これは僕にとってとてもつらかった。帰ってから親に「もうサッカーを続けなくて良い」と言われた。小学生時代で僕が一番つらかったのはこれだった。親にこの事態を知られてしまったのは本当につらかった。もっと良い子でいたかったんだと思う。でもそれはもう本能的に、生まれたときのスペックでそれができなかった。結局僕は最後までサッカーを続けた。

 僕は中学校まで田舎の公立のところに通っていたから、中学でもこの人たちと一緒になることになるのだが、一つ良かったのは、6年生の頃から中学生と一緒に練習していたことだった。何が良かったのかと言えば、キャプテンのいじめっ子(この人は僕にはそれほど突っかかってこなかったけど、一人同級生を不登校にしていた)が中学の先輩に言われたのだかわからないけど、僕をサッカー部に勧誘するためか、俄に優しくなって、そしてそれにつられて周りのいじめっ子も僕に優しくなったことだ。だから最後の数か月は結構ストレスフリーだった。トレセンにも行っていて実力は(あのレベルにおいては)それなりにあったから、それが幸いしたのかもしれない。ただ、僕は中学に行ってサッカーをする気はまったくなかった。というのはこの人たちの本性を知っていたからだ。この人たちと3年間同じ部活でやりたいとは思わなかった。ちょっとミスしただけで袋叩きにされそうだと思った。

 この辺りでサッカークラブについての話はやめようと思うけど、サッカークラブについて書いたら思い出したので、ついでに学校の休み時間でのサッカーの出来事で、一つとても印象的なものがあるので書いておく。それは普通の明るめで調子の良い人とボールの競り合いになったときだった。僕は彼の足に足が引っかかって転んだ。それはもちろん彼にもわかったはずだった。こういうのはもちろんファウルになるべきなんだけど、いじめっ子たちが「いや、足かかってないだろ」という風に言ってきて、ファウルにならなかった。このときに彼が何も言わずにいたことが僕の心に強く残っている。僕だったら絶対に「いや、僕の足がかかったしファウルだ」と言ってそこからリスタートさせるし、そしてこれがいじめっ子たちからいじめられる一つの理由ではあった。だが、彼は何も言わなかった。そして、後でそれについて謝ってくるかと思ったけど、それすらなかった。僕はとても理不尽だと思ったし、普通の人もこうやって攻撃してくるのかと思った。こうしてまた一つ人間が嫌いになった。彼の気持ちは痛いほどわかった。だからこそとても人間が嫌いになった。

 話を戻すけど、今になって僕が思うのは、僕が人と関わるのが苦手になったのは、本当に最適化された結果なんだということだ。おそらく僕は昔は本能のままに生きていて、そこで周りと衝突して、戦いになった。僕はこの戦いに敗れたんだと思う。それはなぜかと言えば、一番大きいのは泣き虫だったことだ。つまりは、精神的なダメージに対する許容量が少なかったためだ。いじめっ子たちが基本的に強いのは、精神的なダメージに対する耐性が強いからではないか。また、集団になるのが得意か否かというのも大きいのかもしれない。そんなこんなで僕は僕であるための戦いに負けたのだった。そして泣き虫ではなくなっていく頃、つまりは理性がしっかりと現れてきた頃から、僕は人と関わるのがとても苦手になった。確かに、昔から人見知りは激しかったが、これは同年代に対してはそこまで顕著ではなかった。ただ、この頃からは同年代も等しく苦手になった。そして、もう一つ重要なのは、本能が非常に歪だったことだと思っている。これについては少し長くなってしまったのでまたいつかに譲ろうと思う。とりあえず、次回は小学校時代の書いていないことについて書いていこうと思う。

 ここまでちゃんと読んできた人がいたとしたらありがとうございます。適当に感想とかお待ちしています(あんまり攻撃的なのはやめてね)。