一つの世界

これもまた一つの世界

中学校時代②

 僕は人前では良い子ちゃんになろうとする(が、コミュ障なのでなりきれない)人だったので、先生との関係も特に悪くなかった。いや、これは訂正しなければならない。家庭科の先生がなぜか僕のことを嫌っていて…おそらくこれは姉がソフトテニス部で、この先生がその部の顧問であり、姉は結構この人を嫌っていた感じがあるので、その影響が強かったのではないかと思っているんだけど、とりあえずこの先生は僕がテストで98点をとって学年トップだったのに、テストを返却した後に意味ありげに「テストの点数が良くても、提出物を出さない人には5(5段階評価で最大評価)はあげません」と言っていて、でも僕は全部提出物出したし関係ないなと思っていた…んだけど、通知表で4にされて、「なんだこれは」と思った覚えがある。勝手に目の敵にされるのはちょっと気持ち悪いけど、僕はこの先生のことはどうでもよかったので、正直本当にどうでもよかった。他に異端のタイプの先生がいたとすると、国語の先生が嫌われていた。そして僕もこの人は教師としてダメだと思っていた。「親友だ」が形容動詞だと教え始めたときには本当にこの人は…と思った。掃除の時間にだけど、女子トイレに入って女子を泣かせてもいた(これは掃除の時間なので弁護のしようはある)。まあダメな先生はダメな先生でそれに対抗して生徒がある程度一致団結するのは悪くないのかもしれないと、今ではそんな風にも思うんだけど。僕はこの人はダメだと思っていたけど、やはり特に嫌いという感じにはならなかった。中学生にとって(いや、これは大学生になってもだと思うけど)裏で教師をいじるネタは基本なので、そんな感じでやっていた気がする。そんなによく覚えてはいない。さて、変な先生についてはこれぐらいにしておこう。僕はちょっとは勉強ができるタイプの人だったので、先生には基本的に一目置かれていたんだけど、授業中にわかる人手を挙げて、みたいなやつには一切手を挙げなかった。だからそれについては先生にもっと手を上げようみたいに言われたけど、これはどうにも人前が苦手な性質上無理だとわかっていたので改善しようがなかった。

 数学の先生には好かれていたのか、僕が一番に数学の問題を解き終わって他の人が解き終わらない時に、何かと話しかけられていた気がする(僕は数学が一番苦手なんだけど、中学レベルならなんとかなっていた)。死ぬ前になんでも食べられるとして何が食べたいかと聞かれて、スイカだと答えた覚えがある。この頃から僕には大して物欲みたいなものがなかった。僕の欲はそっちの方向には向かないらしい。幸せなことと言えば、好きな人と話しているときが一番幸せだと割と思う。他には、3年生のときに担任だった先生のこともよく覚えている。田舎で僕は第一志望が安泰だったので、三者面談のときに勉強について話すことがなく、「そういえば浮いた話を聞かないね」みたいな話をされていた。僕は「ええ、そういうのは(この時期からやることじゃ)ないです」と、割と胸を張って答えていた。というのは、この頃から付き合うというのは大学生以降にやるものだと思っていたからだ。付き合うというのは将来を決める重大事なので、中学生からやるもんじゃないと思っていた。だってその人と生涯を一生共にするような重大事だ。でもこれは僕以外の人にとってはどうでも良かったから、別に他の人が付き合っていようがなんだろうが特に問題なかった。とにかく僕は真面目な優等生のようだった。それでいて人前が苦手で前に出たがらない変な子だった。もちろんそんなことは誰にもわかっていたはずなんだけど、3年生で学級委員を決めるときに、誰も立候補しなかったために投票になって、そのときになぜか僕の名前が上がって2番目になった。僕は1番じゃなかったので胸を撫で下ろしたんだけど、この担任の先生は「じゃあ2番の人は副学級委員にしましょう」などと言い出して、僕は副学級委員なるものになった。これまでにそのようなポストはなかったし、これはその先生がこのときに思い付きで作ったようなものだった。僕はこれに対して、先生としては僕にこういう経験を積ませて人前に出られるようにしたいと思っているんだと思ったし、そういう意味で副学級委員などというものを作ったんだと思った。だから変なものだとは思ったけど、それは先生が生徒のためにやることとして間違っていないと思ったから反発はしなかった。ただ、先生に「僕が2番だったから副学級委員なんて作ったんですよね?」みたいなことを言った。そのときはお茶を濁されたんだけど、数年前のクラスの同窓会でその先生に会ったときに、その通りだったと言われた。僕はそういう中学生だった。2年生のときに新人の社会の先生が来たんだけど、僕は塾に行っていたので勉強内容について少し把握していて、その先生の授業のペースが良くないということについて友達に話したら、それがなぜかその先生に知られて、そのうちに先生から「何か言いたいことある?」と聞かれた。何もないと答えたけど、この先生は1年目だったので、ひどいことを言ったもんだと今では思っている(というかなぜ筒抜けになったのか)。…うん、とにかく僕はこういう中学生だった。

 塾の話が出たので塾について話しておこう。僕は週2回ぐらい塾に行っていた。僕にとってこの塾は遊びの場所という感じだった。勉強は普通にできて、一番上のクラスで多分2番目にできて、県内の統一テストでいつも塾内で2位だった。このクラスは授業中はだいたいいつもにぎやかで、無駄知識などを仕入れて楽しんでいた。ただ、問題を解き始める段になると結構みんな集中していて、良いクラスだった。ここでできた友達とは、今でも仲良くしている人がいる。僕が大学時代に一番世話になったというか、よく遊んだ友達はここで仲良くなり、同じ高校に進んだ。一人は塾内でいつも1位だった人で東大に(この人は理一に行ったんだけど、理三の合格点まであと10点未満だった)、一人は浪人して慶應に行った。僕らはよく3人で大学生になってからも会っていて、社会人になった今でも交流がある。今でも一番仲が良い人達かもしれない。僕にとってこの塾は、友達と話す場だというのが一番の認識で、勉強はまあ適当にやっていた。そしてこの1位の友達がいたので、僕は全然まだまだなんだと知ることができた。ただ、だからといって僕は勉強があまり好きではなかったので、その人を超したいとは思っていなかった。いや、どれだけやっても天性のものがあるからやるだけ無駄だと思っていた。そんなこんなでこの塾での経験は、勉強というよりも高校時代に仲が良い人を作るうえでとても重要だったと言えた。中学時代の僕は、早く高校生になってこの人たちと一緒の高校に行きたいと思っていた。多分この状態ですでに僕が一番楽しかった高校時代の下地はある程度できあがっていたんだと思う。もう仲が良い人たちが同じ高校に行くことが確定していたんだから。

 やはりこういう風に思い返していくと、どうしても周りの環境の重要性というのが身に染みる。中学でも塾でも楽しめたのは周りの人たちのおかげだった。もちろん高校が楽しめたのも。そして大学は……。

 さて今回も長くなってしまうのでこの辺にしておこうと思う。次回は多分少し後になるかと思う(とか言っておいてどうなるかはわからない)。次回も中学時代の続きだけど、次で中学時代は終わりだと思う。ではではあでゅー。