一つの世界

これもまた一つの世界

へうはくのおもひやまず

 つまらない存在だと思った。ニンゲンは取るに足らない存在だ。無に帰すべき存在だ。ムニティスというサッカー選手がいた。僕は無に帰すという単語を使いたいときはムニティスと言うから、ムニティス。人間はムニティスになるべきだ。サッカー選手と言えば、バロテッリがビブスか何かを一人でなかなか着られないでいた動画があったのを思い出した。口の開け方を知らないペットボトルを目の前にして、回すことを思いつかずに開けられないとか、そういう感じ。おそらくこういうのをIQが低いと言う。なんだか自分を見ているようで嫌になった。「Why always me ?」のバロテッリと同じ。彼が差別をされたときのその発言も、僕のものなのかもしれない。

 夕暮れ時には何とも言えない悲しさがあるけど、夜はどうか。僕は夜が好きだ。夜に鳴くふくろうの声を想像するのは良い。明かりのない夜空を見続けたい。夜は人の汚さを隠してくれる色だ。夜には悲しみなんて吹き飛ばす圧倒的な色があってほしい。その色が僕らを覆い隠してくれたら、僕らはちゃんと生きられるのかもしれない。そんな憧れと寄り添ってくれる夜が好きだ。でも僕は決して夜を独り占めしちゃいけない。分別がなければならない。僕はいつだって分別のある人でありたい。自分の矛盾してしまう情けなさを反省できる存在でありたい。夜の色は自省に寄り添える色でもある。でもきっと夜だけじゃダメで。どこかで朝や昼の色も加えなきゃいけない。わかってはいるんだ。

 そう、夕暮れ時だ。夕暮れ時の切なさの色だ。僕は僕の「どうしていつも僕なんだ?」の声も聞かなきゃいけないし、同時にそれを自制し、自省できる心も持っていなきゃいけない。そういうことだ。そこに切なさの色がある。僕は夜に活動しつつ、夕暮れ時を生きなければいけないんだ。