一つの世界

これもまた一つの世界

コマ

ただ同じところを回っている

螺旋階段のように上下するでもなく

ただそこで回って止まる

 

そしてまた回される

ひたすら変わらぬ景色を眺め

やがて飽きて止まってしまう

 

誰が回し続けるんだろうか

どうして回り続けているのか

そんなことは一切わからずに

理想を夢見て堂々巡り

 

やがて人は誰もいなくなる

もう二度と回されなくなる

自分で回すことなどできるはずもない

 

そうなってからが本番だ

回されなくなった後を独り楽しめ

回らなくなった世界を独り楽しめ

適当に更新だけしたと思ってください

 最近ブログをまったく更新してなかったのはモチベーションがなかったからってTwitterの方で言ったけど、本当にただそれだけのことで。もともと書くべきことなんて過去のことだけで、それ以外は思いついたままに書いてたおまけみたいなもんで、そのおまけが少し楽しくなっていろいろ書いてて、でも結局それも意味をなくしてしまったというか。これは僕のTwitterの前のアカウントのときにもあったんだけど、周りの人から評価してもらうためにやってたみたいな感じがあって、それがなくなればもうどうでもよかったというか。本当にそれだけだったと思う。僕には基本的に自分が何かをしたい、というのが欠如しがちで、要するに教科書の通りに育ってしまって踏み外した人なんだと思う。自分が見たくてテレビをつけるんじゃなくて、テレビがついている中でマシなものを探すのに特化してしまっているというか。よくわかんないかもしれないけどそんな感覚。

 それで、今日とりあえず書こうと思ったのは、なんだったっけ。この間のカラオケキャスの話だ。というかそれはつまりSyrup16gの話かもしれない。それをこっちに書こうと思って、なんとなくモチベーションが上がった。そうそう、その前に、今日久しぶりにブログを開いてアクセス解析を見たら、アクセス0の日がなくて、最近は毎日1ってなってて。なんというか申し訳ない気持ちにもなったんだけど、それよりもとてもありがたいし励みになるなって思った。多分ここを見てくれるのは僕のTwitterのフォロワーの人と、後はちょっと特殊な感じの関係の人(そこのあなたのことですよ!…って、これを見るかはわかりませんが。)だけだと思うので(他にもいたらその方にも感謝です)、誰だかわかんないけど、多分僕と話したことのある人。よく話す人。その人に、この場を借りて感謝申し上げます。その人はきっとこれも読んでくれるはずだからね。

 そろそろ本題に入るか。まず初めに、この間のカラオケキャスに来てくれた2人(+最後にもう1人)の方、誰だかわかんないけどありがとうございました。知らない人は知らないと思うけど、このブログの更新報告と同じでnullさん宛てのカラオケキャスのURLをツイートで流しているので、運が良かったら見に来てください。あ、でも来たことがない人に言っておくと、あれは正直いろいろな意味でとてもひどいので、来ない方が幸せかもしれない。それでなんだっけ。そうそう、いろいろ歌ったんだけど、僕は特に真空が好きなので、とりあえず真空について。この間のライブで真空の1番サビが終わった後に、太鼓のお兄さんすなわちだいきちゃんが「ロックンロール!」って叫んでたのと、あと、違うライブでも叫んでたのを思い出して、僕もやった。僕はヒトカラだとライブ版とかをぐちゃぐちゃに混ぜるので、音程が普段よりさらに適当になる。そうやるのが楽しい。だから僕の歌に慣れちゃったら原曲がおかしく感じるかもしれない。話は戻って、真空の1番の歌詞って自傷だとかお薬に縋って生きてるって感じで僕にはよくわからないんだけど、サビは少しわかる。直截的にこれについて言ってるとは思わないけど、例えば、自分の外側に飛び出た言葉って自分の内側の感覚と比べて少し違うというか、そんな感じがする。真空に風が突き刺さっていくように、真空と大気圧の空気の境界の部分で曲がっている感じがする。真空とても好き。要するにそれだけ。おーけー。あ、この際だから僕がSyrup16gで好きなところを言うと、メロディーラインと音作りと歌詞と掛詞と五十嵐の声と歌い方というか姿勢(?)だと思う。あんまり掛詞はわからない人もいるかもしれないけど、例えば落堕の「いつ髪切んだ?」が「いつか(自分のことを)見切んだ」とかね。これを探すのが一時期とても楽しかった。

  思ったんだけど、趣味の話をするのは知らない人にはとてもつまらないよね。やめよう。今回は書きかけたし特に前半の部分を伝えたいからアップだけするけど、こういうのはやめた方がいいね。ぷっしろで書いたらぷっしろだけで何個か記事ができそうだし。今度はもっとまともな記事書きますね。

 最後に。今回のブログの内容に関係ないことでも、何かコメントあったら書いてやってください。よろしくお願いします。

あったか冬籠り

 冬は寒い。寒いから冬。そんなことを気にするようになったのはいつからだろうか。よく覚えていない。いつものように玄関を出た僕を唯一見送ってくれるのは、すぐに消えてしまうドアの閉まる音。ひたすら乾燥していた。目の前を横切る道。たくさんのアパート。電車の路線。葉をなくした梅の木はぽつんと独りで立ち、寒さに音を上げているようだった。いつの間にか個性を消してしまった都会の空気の中、未だ溶け込めずに浮いたまま、僕は彷徨っていた。誰もが冷たい向かい風だった。僕は毎日吹き付けてくるこの向かい風に一人で立ち向かっていた。

 気付けば景色は変わり、大通りに出ていた。赤信号で立ち止まっている間、管理されるのはとても簡単だしやりやすいなどと思っていた。赤信号とはつまりそれだ。赤信号で止まって、青信号で進むのは本当に楽だ。気付けば信号は青に変わっており、歩き出そうとして、ふと違和感に気付く。―バッグを持ってきていない。今日の講義のプリントがない。大丈夫、友達………はいない。大学でまともな友達はいなかった。仕方ない、一度戻ろう。大して急ぐわけでもなく、僕は来た道を引き返して家に戻った。追い風だ。大学に向かうのに比べてすごく労力が要らないと思った。

 アパートに戻ると、優しいドアが僕を待っていてくれた。鍵を開けて中に入ると、いつもの何もない団欒がそこにあった。僕は靴を脱ごうとして腰かけた。それから―。そのまま座っていた。座り続けていた。そしてなんとなく鍵を閉めてしまった。なんとなく。ここは暖かかった。廊下に大の字に寝転がって、天井を見上げる。未だ電気をつけていない廊下は薄暗く、天井に何があるわけでもない。それでもそこを見続けていた。再び、ここは暖かいと思った。この都会に残された防風林よ、僕を守ってくれ。いつまでも寒さに打たれ続けるのはつらいんだ。

 よし。立ち上がって僕は思った。明日からの講義はちゃんと出よう。でも今日は休もう。そんな日があっても良いじゃないか。高校時代に皆勤だった僕は果たしてどこに行ったのかとも思うけど、まあそんなのは知らない。ただ、僕を守ってくれるこの場所があれば、きっとまた外に出ていけるからさ。だから今日は、暖かい場所にいよう。

 ―次の日、僕は大学に行かなかった。

ほのかにうちひかりていくもをかし

 世界が泣きそうになっていたから、どうしたらいいかわからなくておどおどしていた。どうして泣きそうになったかもわからない。それをなんとなく外から観測していて、気づいたらそんな感じになっていて、不安定な人なんじゃないかと思って変な気分になった。僕は多分ふわふわしている人間だけど不安定ではない。だからこそこの世界の急変に対してクエスチョンマークをたくさん浮かべた。

 いつか見た光景を思い出した。小学校の校庭。良い思い出は先には浮かんでこない。たくさん潜り抜けて、少しだけ見つけられたかな、と思った。そんなに悪いことばっかりじゃなかったはずなんだけど。どうしてこうなっちゃうんだろう。これは誰のせいでもないし、僕の中で答えは出ている。でもそれは何の慰めにもならないから。だから今、良いことを増やしていきたいんだ。

 僕は好きな人と他愛もないことを話しているときが一番好きだ。ウィットに富んだ会話なんかじゃなくたっていい。出かけるのは好きじゃないけど、好きな人とどこかに行くのは好きだ。それはただ好きな人と一緒にいるのが好きなだけだ。僕の今の境遇は別に悪いものじゃない。実家に帰ってきて普通に過ごしている。誰とも話さない日もなくなった。穏やかに暮らせていると思う。それでも物足りないと感じるのは、きっと僕がどこまでも傲慢な存在だからだ。おそらく人がもっと上へと願ってしまうのは仕方のないことだけど、自分の限界を知らないといけない。身のほど知らずは身を亡ぼすからいつも弁えていたい。ずっとそう思っていた。僕は高校時代が自分の一生で一番幸せだと感じていたから、きっとどこまでも上へは目指さないで済む。それでも、僕の夢には一生届かないのはわかっているから、ずっと上へ上へと思いを馳せることになるのだろう。それじゃあ結局飽くなき欲求を追い続ける人と何も変わらない。

 ―そうか。僕のこの虚しさはどこまでも欲求を追い続けている人のそれと同じなのか。僕は天井を知っていると思っていたけど、結局永劫辿り着けないそれなら、天井を知らない人とまったく同じなんだ。なるほど。

 僕はふと椅子から立ち上がり、ジャンプして天井にタッチした。跳べばあるいは一瞬だけ届くかもしれない。でも。でも、僕が欲しいのはそんなものじゃないんだ。

ただはるのよのゆめのごとし

 適当にDドライブになんでも突っ込むのをやめなさい。頭の中を整理するにはまずそのパソコンを整理することが必要だよ。容量がいっぱいになるまで整理しないのはやめなさい。破裂してから困るのはあなたでしょ。…本当にいつもの僕自身だから笑ってしまう。ただ一つ違うのは、危うくなるとその雰囲気だけは察知してなんとかするところだ。いつも後でなんとかなるからと言って何もせず、未来の自分を困らせる僕だけど、これはこれで精一杯やってるのかもしれない。そんなポジティヴを発揮していく。これだから僕は何をやってもやりきれないし、逆に言えば堕ちようとしても堕ちきらない。いつものことだ。ただただつまらない。散らばったものを拾い集めるのが昔は得意だったんだけど、大学生になってつらみからか激しく健忘が加速し、今では散らばらせたまま踏んづけるようになったゴミたち。ゴミ溜め。ゴミ。駄目。

 ナイアガラの滝を見れば自然の美しさに捕らわれ、僕ら人間世界を見ればその汚さに閉じ込められているけど、こんなのは全部神様の暇つぶしだから何も考えない。意識を捨て去ればあるいは…。しかしそれは考えるまでもなく無価値で、僕らが向かう奈落の底はきっと花の橋を作って渡っていくような工程を経るべきだ。「夢は君の中で永久に生き続けることさ」と、かの人は歌っていたけど、僕も歌の中に答えを放り投げたい。でも考えたくない。きっと僕は特別が欲しくて特別になりたくて歩んできた。それは無意味で無価値でなんにもないと知るためだけに必要なものだった。そうやって結果を見て目的を修正してこれからも生きていくのか。そうかそうか。多分僕の平静も平穏もそこにしかない。もう僕は夢を諦めている。黙って盲目的に、首を振らずにバック走し続ける。そして終焉をつかみ取る。

 …ああ、心配しなくても大丈夫、僕はきっと何をやってもやりきれない人間だからね。

なんにもかんがえていない

 僕は脳みそのねじがぶっ飛んでるから普通にやるといつもダメになる。打算が嫌いだ。悪を理不尽を憎む僕は正義を騙る風の前の塵だ。

 そうだ。君たちの謳歌する恋とはなんぞや。僕の生きている生とはなんぞや。少しは教えてくれたっていいじゃないか。なんだそれ、ずるいぞ。

 僕らが観測する物事はだいたい相対的な問題だ。だから明るい道があれば暗い道もある。それぐらいのことは当然だ。泥濘にはまってくれるなよ。

 精進の道を行くのなら己を捨てて克己せよ。この場合の己とは何を指す。おのれ詭弁家の類か。そんなんじゃない。よくわかんないまま言っているだけだ。

 

 …よいしょと吐きだめておいて、後で見るつもりです。これはなんなのか、僕にもわからない。なんのために時間を使ったのか。なんのためにこれを書いたのか。知っているのは夜空の向こうのお月様?ううん、目を閉じたときに見える景色だよ。

へうはくのおもひやまず

 つまらない存在だと思った。ニンゲンは取るに足らない存在だ。無に帰すべき存在だ。ムニティスというサッカー選手がいた。僕は無に帰すという単語を使いたいときはムニティスと言うから、ムニティス。人間はムニティスになるべきだ。サッカー選手と言えば、バロテッリがビブスか何かを一人でなかなか着られないでいた動画があったのを思い出した。口の開け方を知らないペットボトルを目の前にして、回すことを思いつかずに開けられないとか、そういう感じ。おそらくこういうのをIQが低いと言う。なんだか自分を見ているようで嫌になった。「Why always me ?」のバロテッリと同じ。彼が差別をされたときのその発言も、僕のものなのかもしれない。

 夕暮れ時には何とも言えない悲しさがあるけど、夜はどうか。僕は夜が好きだ。夜に鳴くふくろうの声を想像するのは良い。明かりのない夜空を見続けたい。夜は人の汚さを隠してくれる色だ。夜には悲しみなんて吹き飛ばす圧倒的な色があってほしい。その色が僕らを覆い隠してくれたら、僕らはちゃんと生きられるのかもしれない。そんな憧れと寄り添ってくれる夜が好きだ。でも僕は決して夜を独り占めしちゃいけない。分別がなければならない。僕はいつだって分別のある人でありたい。自分の矛盾してしまう情けなさを反省できる存在でありたい。夜の色は自省に寄り添える色でもある。でもきっと夜だけじゃダメで。どこかで朝や昼の色も加えなきゃいけない。わかってはいるんだ。

 そう、夕暮れ時だ。夕暮れ時の切なさの色だ。僕は僕の「どうしていつも僕なんだ?」の声も聞かなきゃいけないし、同時にそれを自制し、自省できる心も持っていなきゃいけない。そういうことだ。そこに切なさの色がある。僕は夜に活動しつつ、夕暮れ時を生きなければいけないんだ。